KaKuKoTo

まずは毎日かくこと

麺類

大抵毎日社食で昼飯を食うわけですが、大抵日替わりの麺類になります。
いくつか選択肢のある日替わり定食からベストを選べず右往左往するよりは、いつも決まったものを食べたらいいか、というのもありますが、単純に麺類が好きだからです。

故郷が九州なので、やっぱりとんこつラーメンが好きです。郷里のお気に入りのラーメン屋は、先代が亡くなって今はやんちゃしていた息子さんが跡を継いでいるのですが、味は変わらず、いつ行ってもほっとしますし、あっさりめのとんこつスープを飲み干してしまって、帰りは喉がカラカラになります。

あと、讃岐うどんも好き。
10年くらい前に、近県に住んでた友人がアテンドしてくれて、有名うどん店巡りをしたことがあります。前日楽しみ過ぎて寝不足だったのと食べ過ぎたのとで、お店の名前が思い出せないのがとてつもなく残念です。硬め/比較的柔らかめ、太め/比較的細め、老舗古民家風/製麺所の脇バージョン、色んなお店がありました。一つ一つのうどんは目と舌に焼き付いているものの、如何せんお店の名前が。

あと、担々麺と名のつくものは大抵好きです。最近本郷の担々麺メインのラーメンやさんに行って、こんなに美味い担々麺は久しぶりだ、と震えました。
あと、八重洲の中華屋さんの、肉汁たっぷり大きめ焼売と共にいただける、胡麻たっぷり辛さ控えめの担々麺も好物です。
冷凍食品も侮れなくて、よく「日清具多」の担々麺も食べます。昔一人暮らしの頃は必ず冷凍庫に入っていて、週に一度は食べていました。

そういえば、何を迷うたのか「担々麺フェア」と称して、社食の日替わり麺が一週間担々麺だったことがあります。赤担々麺、黒担々麺、白担々麺、あとなんだったかな。同僚の「今日も担々麺?」の視線に耐えられず、三日目くらいには別の物を食べました、お前こんなもんなのか、と後に自分を恥じました。
担々麺愛を試されるイベント、一体何だったんでしょうね。またやってほしいですね。

本を読む

最近、Kindleの読書がはかどっています。積読が減るかと思いきや、また買うので未読はあまり減らないですが。

つまらない大人になってしまったのか、小説があまり読めなくなりました。感情移入したり、ハラハラしたりドキドキしたり、難解な設定を読み下したり、犯人を推理したりすると、どっぷり疲れてしまうのです。

周囲の「毎週欠かさずジャンプ・サンデー・マガジンを読み続けるマン」達も、最近やめちゃったという話をよく聞く気がします。そう考えると、漫画は遊びじゃないですよね、いっぱしの読書としてエネルギー使いますよね。

結果、読む本はビジネス書となりました。

ビジネス書って、気になる本の傾向が好みに偏ってしまうからか「あれ、この話どっかで読んだことあるな」みたいなことになりがちだな、ということに、数読み始めて気づきました。

ちなみに、私が読みがちなビジネス書の特徴は以下です。

・共感力のある、地味な、たたき上げのリーダーが企業を発展させる

・交渉事も、苦手な人の付き合いも、相手のことを理解しようという気持ちで前進できる

・ストレスが溜まって、一人になりたい時ほど人と接して、できたら何か人助けをすべき

・絵を描いて説明しましょう、相手にもわかりやすく、クリエイティブにもなり、相手の顔を見ないことで感情的になっても喧嘩にならないから

・本当にやりたいことを見つけて、いつも思い出して、それを目指して日々工夫していきましょう

 

小説、読みたいんですけどね。

大好きな(もうこんだけフォローできてないと「大好きだった」と呼ばねば失礼では)森見登美彦氏のブログが更新されていたので、改めて思いました。

tomio.hatenablog.com

はてなブログを始めたのも、もりみーがはてなブログだったからです。

なんで「熱帯」Kindleないの。

小さな世界

祖父は、定年まで勤めた会社で「銀獅子」と呼ばれていたそうです。白髪で、よく吠えたから。曲がったことが大嫌いで、厳しくて、いつも怖かった。お葬式には、家族葬にも関わらず、たくさんの昔の部下がお線香をあげに来てくれました。

父は、父親の頑固一徹さを好もしく思っていたようです。高校時代は融通の利かない学級委員長で、落ちこぼれの子をかばい、教師の矛盾を追及して、ビンタされて鼓膜が破れたそうです。今では立派な「会社の為を思ってくれているんだけど、正論のうるさい年寄り」になっております。

私はどうか。

女性であることもあり、また弁が立たないこともあり、大っぴらに人と対立するのは得意ではありません。たとえ相手が間違っている、と思ったとしても、真正面から指摘するのは苦手です。

ただ、だからと言って「なんかおかしいよなあ」という気持ちに蓋ができるかというと、出来なくて、ずーっとずーっとくすぶってしまう。

じゃあ何が出来るんだい?何か変えて見せておくれよ、という思いで苦しいのですが、出来ることと言ったら「誰が何と言おうと、自分が正しいと思うことをやり通す、流されない。ただし出来る範囲だけど」ということだけです。

自分が正しいと思う、小さな世界を一生懸命守って生きているのです。

そうやってコツコツ仕事をしていると、わかってくれる人、信じてくれる人、頼ってくれる人が少しずつ少しずつ、増えてきました。

声が大きくて、勘所をガチっと押さえてうまくステップアップしていく人も、群れて声が大きくなった気がして安心している人もたくさんいる。

いつも、そういう「うまくやれる人たち」に、笑われてるような気分になってしまうのですが、しょげていたところに、死ぬほど忙しい人が、私の小さな世界の、中でもちっぽけなことのために、真剣なアドバイスをくれ、前を向けそうな気がしました。

小さな世界を守って、少しずつ広げていくことで、周りにもほのかに良い影響を与えられるような、そんな人間になりたいと思います。

ハロウィン

ハロウィンについて書きたいと思います。

 

年がばれるかと思いますが、自分が渋谷とかで遊んだ年頃にはまだハロウィンなんて誰も言ってなくて、遠くのお祭りなんでしょ?という感じでした。ハロウィンにかこつけて、かぼちゃのお菓子を売ったりは、もしかしたらあったような、なかったような。

7~8年くらい前も、まだそういう方向にアンテナを張ってない人種はなじみのない祭りで、会社の同僚の結婚式の二次会に呼ばれて行った青山で、仮装した若い人たちにビビッてたら、同じ会に出席する5歳くらい若い後輩がデビルちゃんのカチューシャをつけてきて(服装は普通のパーティ用ワンピ)、二度びっくりしたことがあります。

そいで、4年くらい前に渡米して、2年半ほど住んでたのですが、小さい子供もいたおかげでハロウィンは大変楽しいイベントでした。

 

ハロウィンて、基本は10/31の夜に小・中学生くらいまでの子供が仮装して菓子をねだって歩く祭りなんですけど、じゃあ10/31が平日だったらどうすんの?次の日学校じゃん、と思うじゃないですか。

やるんですよ、10/31に。月曜だろうが水曜だろうが。

ハロウィンは近所を回るのがメインなのですが、「ハロウィンの名所」的な通りがいくつかあって、そういうところは週末に開催してたりもしたような気がしますが、そういう融通の利かない感じ面白いなぁと思ったものでした。

また、日本でも最近は時々見かける、行政とかショッピングモールとかが開催する「こどもハロウィン祭り」的なものは、やはり週末でした。

アメリカでしょ?他人のくれたお菓子食べるなんて大丈夫?とも思ったのですが、「個包装の市販のお菓子を配る」という原則があるようで、アメリカ人はホームメイドのお菓子大好きですが、ここでは市販のちっちゃいアメとかチョコとかでした。

よその家のドアをノックする件については、「うちには菓子があるぞ」という目印に、当日家の前にでかいパンプキンを置きます(ちなみに、アメリカ人、パンプキンというと基本あのでかいやつを指します。絵本に出てくるものもパンプキン呼ばわりで、食用かぼちゃはスクワッシュと呼ばれていました)子供にお菓子あげる気ないよ、というときは、かぼちゃを置かなければ基本誰もノックしません。

 

子供たちの仮装ですが、日本だとキャラのコスプレが多いですが、本場はもっとバラエティに富んでいました。いわゆるウィッチとかゾンビとかだけでなく、自前の服をうまく使ってかわいい仮装をしてる子なんかは、親のセンスにうならされました。例えば、白いトップスに白いタイツをはいて、白い耳のカチューシャと長いしっぽをつけ、黒い鼻と白いひげのフェイスペイントをすれば、白猫ちゃんの出来上がり、とか。これにじゃらっとしたネックレスを首輪代わりにつけた金髪の小さな女の子とか、超かわいかったです。

アメリカには、小さい子には戦隊ものとかプリキュアに該当するような人気キャラで超かっこいいとかかわいいっていういのがあまりなくて、ディズニープリンセスとか、ダースベイダーとかはありましたが、素朴な感じするなあと思ったものでした。キャットインザハットっていう、日本でいう「ぐりとぐら」みたいな昔からいる絵本のキャラクターの仮装してる子とか、職業の制服的なのも多かった気がします。戦隊がない代わりに小さい男の子のヒーローは警官と消防士なので、それに扮する子も結構いたかも。

もう少し大きくなると、ややキャラに寄ってきます、アベンジャーズとか、バービーとか。小さい頃から毎年仮装しているので、ティーンの仮装はだいぶ凝っていて、更にお友達とお揃いとか、レイヤーさんでいう「あわせ」とか、そういうのもあるみたいです。その年ごろの女の子はかわいらしさを求めてなくて、セクシーとか、ガチで怖い路線を狙う子も多々いて、Facebookに上がる友人の娘さんの傷メイクが年々生々しくなるので面白いなあと思ってます。

 

職場のアメリカ人に「日本のハロウィンは、大人が仮装してバーに飲みに行く祭りだ」と言ったらだいぶびっくりされましたが、大人が仮装して練り歩くことはあまりありません。子供に同伴する親は、気分を盛り上げるために(まあ、みんなお祭りは大好きなので)仮装をしてたりもします。あと、お菓子を配る大人もノリノリの人はドラキュラだったりしてました、で、ガチすぎて幼児が泣くとか。

せっかくのお祭りなのに、飲みに行かないの!?と思うじゃないですか、飲むんですよ、家で。有名な通りの住民たちは、行列をなす子供にお菓子を配りつつ、ビールを飲みながら庭でバーベキューとかしてました。アメリカ人はみんな比較的(個人の感想としては、すごく)子供が好きなので、ちびちゃんたちの仮装をつまみに、さらに肉食ってビール飲んで。親的にはそっちのほうがうらやましかったです。

 

近所で回ってもよいのですが、慣れない我々にはちょっと怖かったので、一年目は超名所に行って歩きました。雰囲気は十二分に味わえて満足(売ってるわけじゃないのにバーベキューのにおいが通りに蔓延している。そして、飲んでる家からクラブミュージックががんがん聞こえてくる)でしたが、人が多すぎて子とはぐれそうにはなるわ、やっぱりものすごい数の子供が押し寄せるのでコスト面からもらえるお菓子がチープでおいしくなかったり。

二年目は、子が通っていた保育園のそばの小さい通りに、保育園終わりにみんなで仮装して行きました。消防署が消防車を開放してくれて、子供たちを乗せてくれたり、ややこじんまりとしてるので、もらえるお菓子もハーシーズとかおいしいやつで、一緒にスティッカーくれるしで、大変よかった(子供は万国共通シール好き。アメリカ人は特に「子供といえばスティッカー」なので、トレーダージョーズってスーパー行ってもスティッカーくれるし、パトカーに手を振ったら近づいてきてスティッカーくれたりしてました)

 

今では日本でも比較的ハロウィンがポピュラーになってきて、保育園のイベントでコスチューム着て出かけたら、近所のお店の人がお菓子をくれたり、というあたたかいイベントもあります。

 

でも、10月になると、もう、とにかくアメリカのハロウィンシーズンが懐かしい。

まずは、ハロウィンのためのかぼちゃを調達する「パンプキンパッチ」というめちゃくちゃ楽しくてかわいいかぼちゃ畑を訪れるところから始まります、だいたい9月の終わりから10月いっぱい。基本はただのかぼちゃ畑で、必要なかぼちゃを買うのがメインのはずなのですが、かわいい案山子がたくさん飾ってあったり、藁でできた迷路で遊んだり、乾燥コーンのプール(ボールプール的な)に入ったり、ろばが引いてくれる車に乗って畑を一周したり。結局カービング(彫るやつ)をやれるような大きなかぼちゃは一回も買わず、手のひらサイズをいくつか飾ったくらいでした。今思うと、やっておけばよかった。

で、ハロウィン当日は、前述の通りの大賑わい。配る方もちょっとやってみたかったけど、オンタイムには自分も子供を連れて外出しているので実現せずでした。仮装はちょっとやった、子供がきかんしゃトーマスの服を着てたので、背広着ておもちゃのシルクハットを被っていたら「あ!あんたあれでしょ!?トーマスの!?名前なんだっけ!?でも似合ってるよ!」と、大人がめちゃ声をかけてくれるのもうれしかったです。

そして、ハロウィン後には、もう一つのハロウィン。

メキシコに「死者の日」という、お盆のようなイベントがあるのですが、これがハロウィンの直後なのです。屋外に、亡くなったご先祖の写真をたくさんのマリーゴールドの花で飾って、ゆかりのある服や食べ物や飾りなどと、キャンドルをお供えして偲ぶ、初盆のような儀式を最初の年だけでなく毎年行うのです。とはいえ、ヒスパニックの陽気な雰囲気もあり、ご先祖の好きだったレゲエとかを流していたりもして、にぎやかでもあり、しめやかでもあり。

近所の公園は、周囲にヒスパニックの方が多かったこともあって、メッカになっていて当日は圧巻の光景でした。亡くなった方をいつまでも大事に近くに感じていられる、いいお祭りだなあとしみじみしたものです。

相変わらずハロウィンは好きだけど、この時期に一番強く思い出すのは、むせかえるようなマリーゴールドの香りと、ゆらめくたくさんのキャンドルの灯りのような気がします。

はやくしゃべるのが苦手な話

最近一緒にお仕事をしているアメリカ人は、喋るのがめちゃはやいのですが、その人が10秒で説明することを私が30秒かけて確認するので、「こいつ英語できねーんじゃねーか」と思われてるのではとよく思います。

Zootopiaに出てくるDMV(免許センター的な所)にいるナマケモノがしゃべるのを、ウサギの主人公が待ってるときみたいな顔をされるので、申し訳ない限りです。

その人がしゃべることは90-95%方理解出来ているし、喋りながら答えもちょっとずつ用意し始めるのですが、リレーのバトンをもらった瞬間にゆっくり走り出す。。。という感じなのです。

ほかの一緒に仕事してるアメリカ人はそんなにイライラしている様子もないので、慣れてくれたのかなぁとありがたく思ったり、でも確かに慣れた人と話すときはもうちょっと早く喋れるかなぁと思ったり。

 

というようなことを身内に相談すると、

「英語とか関係なく、お前は日本語でもそうだろう」

と言われました。たしかに。

 

最近話した女性がてきぱき早口で説明するので「きっと理系だろう」と思ったらやっぱりそうだった、ということがあったり、理系の人は早口のイメージなのですが、私はそうじゃなく、そのせいで多分にどんくさいと思われて生きてきました。

職場でも、マウントしたい系の人に目を付けられることが多くて困ります。

アホだと思われたらしゃくだからと、用意しておいた内容を一生懸命早口で喋っても、思わぬカウンターを食らうと、二の句が継げません状態になってしまうのです。

動物のお医者さん』という漫画に、菱沼さんというオーバードクター(ちなみにオーバードクターって、D5とかD6とかそういうことですか?)がいまして、大変美人なのですがとろくて、それを馬鹿にされたときに

「失礼ね!私もはやくしゃべろうと思えばしゃべれるのよ!」

と反撃したものの、

「はやくしゃべれるんだけど、考えるのが追い付かない。。。」

と言うエピソードがあって、あ、これ私やん、と思ったものです。

冒頭の話じゃないですが、日本語で説明してても「もうちょっとはやく喋ってくれんかな」という顔をされることはままあって、それは慣れない人とか偉い人とか、緊張すると増幅されてしまうのです。

(とろそうに見えて痛いところをつく質問をする、といった使用法は、わりと有効)

何か偉い人に説明するときにはできる限りの準備をし、想定問答もしっかり持っていくようにしています。うまくいくとかなり決まりますが、アドリブでそこそこいけるやろ、は大けがをします。

こんな私から見ると、早口の人はただそれだけで賢く見えるので、あんなふうにかっこよく早口で喋れるようになりたいなぁと思う今日この頃です。

 

 

生産性と丁寧な暮らし

フルパワー共働き家庭なので、とにかく日常生活は効率化と自動化を進めています。
・食器洗いは、でかい食洗機で鍋まで全部洗う
・洗濯は、基本ドラム式洗濯乾燥機で乾燥まで一気に完結
・料理は、具沢山の汁物と野菜のお惣菜数品、主菜数品を週末に作り置き
・買い物で、切らすと困る日用品(飲料、洗剤など)はアマゾン定期便
・掃除は、主にルンバ
おかげさまで、仕事もしつつ手のかかるチビの世話をしながら生活できています。文明の利器はありがたいなぁと思う今日この頃です。

一方で、お盆休み実家に帰り、
・食器は手洗いの後布巾で拭く
・洗濯物は一枚ずつベランダに干す
・料理は食べたいものを都度必要なだけ作る
・買い物は近所のスーパーへ毎日通って特売品などチェックする
・掃除は掃除機
という生活を数日送りました。ごくごく普通の生活なのですが、自分がいかにスポイルされているかを思い知りました。
これに加えて母、庭いじりと針仕事までするのです。これまた当たり前の生活なのですが、今の自分と遠すぎて眩しかったです。

2つの生活スタイルを比べてみて、今は忙しすぎるので、少しでも時間があれば子供と遊びたいし読みたい本も勉強したいことも山ほどあるので、ひとまず仕方がないかなと思いました。
ただ、子供の手が離れたら、仕事をリタイアしたら、年をとったら、多分億劫になるんだろうけど、いわゆる丁寧な暮らしを送りたいなと思います。ひと手間かけることが何かと刺激になると思うので、ボケないためにも大事かなと。禅僧のように一つ一つの所作を丁寧にしていけば、マインドフルネスにも役立ちそうです、心穏やかなお年寄りを目指したいです。

とはいえライフシフトの時代ですし、今以上にやりたいことも学びたいこともいっぱいありすぎて忙しいから文明の利器に頼るよ、という高齢者でありたいなぁという気も、ちょっとしたりしています。

関西人とイノベーション

偏見だったらすみません、初めに謝っておきます。

うちの部署には、同期同士の上司がおります。二人ともタイプの異なるイケオジであり、めちゃくちゃキレ者でありながら性格は温厚な気遣いの人で、上司の信頼も厚く、部下にも大変慕われております。
一人は関東の方、一人は関西の方。
と、ここまでが前置きでございます。

通販狂いの同僚が、ある日奇抜な買い物をしました。見たことも聞いたこともないし、いや、確かにありそうだけども、何に使うんだそんなもん、と、聞いた瞬間思うようなものです。

昼飯時に先週その話を聞いたのは、まず関東の方。
関東の上司は出来た方なので、そんなことはおくびにも出しません。
へぇーそんなものあるんだ、と心から感銘した声で頷き、そういえば俺、それ的なものを最近近所で見かけたよ、と興味津々な風に話します(本当ですか、と我々は思っておりました)
同僚は、そうでしょう、流行るところでは流行ってるんですよ、とほくほくでした。同僚は思い切った買い物を褒められ、さぞや仕事が捗ったことでしょう。

そして、関西の上司。
お前それどこで使うねん、から始まり、一通りいじり倒した後、なんぼやったん、と。
いくらでした、でも、あれこれ考えると安い買い物ですよーと同僚(いや、いつ使うんだと私)
そら、流行らせるべきやで、うちの新事業でプレゼンせな、と、ネタが膨らみ、みんなノリノリで、もっとターゲット絞ったほうがいい、この国だったら売れそうですよね、こうしたら使いやすくなる、と話が展開し、あれ、結構プロジェクト煮詰まってきてません??と大爆笑でランチは終わりました。

いや、やんないけどさ、でも、あれ、なんか面白そうじゃないか、と、みんなの頭には刻み込まれたはずです。

お笑いとかでも、どんどん話が飛躍していくやつ、あるじゃないですか。ああいうノリってうまく使うとイノベーションを起こせるんじゃないの。
で、その鍵は、ノリとユーモアを重んじる、関西という土地が握っていたりして。

などと考える九州人でした。