KaKuKoTo

まずは毎日かくこと

いやな人たち

朝一からいやな人に絡まれると、一日やる気が出なくなります。まさに出鼻をくじかれるといったところ。
でも、大概朝一で来るんですよね、いやなメールとか、来訪者とか。
「今日はあいつにいじわるしてやるぞー、今日は何をしようかなー」
なんて、その人たちもまさか思ってやってるわけではないでしょうに、おとなですから。不思議ですね。

最近聞いた友達の愚痴にも、いやな人が出てくるのですが、とにかくいじわるされるらしくて辛そうでした。
「あの子やな感じだから、いじわるしちゃおー」
なんて、その人もまさかまさか思ってないと思うんですよ、おとなですから。

ということは、
無意識にいじわるをする人と、いじわるのセンサーが敏感な人がいて、トラブルっつうのは起こるのかもしれません。

友達のことは、
「きっとあなたかわいいから、いじわるしたくなっちゃうんだよ」
となぐさめておきました。自分も今度いじわるな目にあったら、かわいくなったかも、とポジティブに捉えていこうと思います。

身近にいる「やっかいな人」から身を守る方法

身近にいる「やっかいな人」から身を守る方法

プリキュアをめぐる、主語の大きい話

Twitterまとめを読むのが好きなのですが、よく話題になるのがこの「主語が大きい」話。人間は自分に集まってくる情報をもとに判断しがちなので、それはある程度自然なことなんだろうなと思います。

そういう意味では、先日のハロウィンも「私が経験した」アメリカのハロウィンの話ですね。私が住んでいた地域ではそうでした、という感じです。別の地域に出張に行く同僚が「アメリカなんてピザとハンバーガーしかない」と不満を漏らしていたので、「え、タコスやブリトーはないの?」と喉まで出かけ、いや、あれはあの地域だったからだな、ととっさに飲み込んだことがありましたが、そんな感じ。

 

なぜこんな話をするかと言うと、でかい主語に踊らされたと思しき事例があったので、共有させていただくための前振りでございました。

長女がプリキュア全盛世代らしいのですが、去年までプの字も知らなかったくせに、春頃から急にプリキュア一色の生活になりました。

弁当箱や服を買い、ふりかけだのチョコだの買い、ハッピーセットプリキュアだと言えばマックに通い、特典付き前売り券を購入して映画に行き、街の百貨店でやっているプリキュアカフェにまで行ってきました。日曜はどんなに遠出をしたくとも九時まで出かけることが出来ません、出発は何があってもプリキュア視聴後、というのが我が家の掟になっております。

お友達もみんなプリキュアが大好きで、みんな洋服どころか、誰それはバッグを持っていて、誰それと誰それと誰それはパンツもプリキュアだ(お前たちはパンツを見せ合っているのか、と驚きました)と言うので、この年頃の女子は猫も杓子もプリキュアなんだなあと思っていたのです。

で、別の外出の通り道で、たまたま件の百貨店を通りかかったので、「さぞや長い行列が出来ているに違いない。が、通りかかったのも何かの縁だし、ダメもとで覗いてみよう」と、お店の前まで行ってみました。

するとなんと、ランチをとうに過ぎた微妙な時間帯だったのも幸いしたのでしょうが、待ち時間ゼロで入ることが出来たのです。

子は実は強運の持ち主なのかもしれませんし、よかったね、夢は叶うんだよ、とプリキュアらしい学びを得たとも思います。とはいえ、普段伝え聞くほどの人気であるとすれば、こんなに百貨店のはずれの特設スペースでこじんまりした感じで、すっと入れてさっとパフェが出てくるなんて、ぶっちゃけありえないです。

実は、映画に行ったときも同じような印象を持っていたのです。「きっと、映画館の座席、事前予約しないと行列で入れないんだ」と戦々恐々としていたら、普通に前日の夕方に後方最前列の席が予約できて、しかも当日劇場ガラガラ、という。

横浜のパレードは大勢の人が集まったらしいので、一定数のファンがいることは間違いないとはいえ、「『みんな』好き、って、実は言い過ぎなのでは」と思い、子に

「お友達で、プリキュアが好きな子は、誰と誰?」

と聞いたところ、AちゃんとBちゃんとCちゃん、Dちゃんはそこまででもないかな、あ、それにEちゃんとFちゃんはプリキュア観てないかな、と指折り数え始めました。

カウントしたところ、おそらく毎週テレビを観ていて、グッズもそこそこ持っていて、映画も行きそうなのは、同世代の30%くらい。じゃあ、カフェまで調べて行くほどのファンはもっと絞られるでしょうから、うん、なるほど、と思いました。

周囲に聞きまわった雰囲気、プリキュアというのは、トップが幼稚園年中・年長あたりの3-8歳女児向けコンテンツのようです。ざっと調べたところ日本の3-8歳の子供は6百万人くらいなので、これもざっくり2で割って、3百万人をメインターゲットにしたビジネスとすると、なかなかシビアだなあと思いました。かたや、もっと幅広い年齢層に訴えることができるディズニーランドや、大きな美術展、パンダの赤ちゃんには長蛇の列ができるわけですから。

ディズニープリンセスやソフィアみたいに全世界に市場があれば、子供の多い国は沢山あるので、チャンスはもっと広がりそうです。Kawaiiカルチャーは世界に広がっているらしいので、プリキュアも頑張ってほしいなあと思います。すでにあるんですかね、ギネスに認定されたくらいですし。

主語の大きなプリキュアの話が、規模の大きな話になったところで、今日はおひらきとさせていただきます。

歌の力的なもの

10代の頃とか、とにかく歌が好きで、世代的に暇さえあればカラオケに行ってたし、中学から大学までずっとコーラスをやってました。

歌で食えるほどの才能があるわけじゃないのは、随分早い段階で理解していたものの、全身全霊かけて一つのハーモニーを作り上げた瞬間の達成感は、ひたすら麻薬的で、その世界にどっぷりはまっておりました。

コーラスって、やってた人間が敢えて誤解を恐れずに言うと、こじらせた体育会系みたいな厳しさがあって、すごい縦社会だし、指揮者の言うことは絶対だったりします。
基本、打たれ弱い性格なのですが、こと歌のことになると「お前ら全員やめちまえ!」とか言われても平気だったし、「話にならん!」とか言って別室に行ってしまった指揮者(謝礼をお支払いしてますが)を頭下げて呼び戻しに行く、なんて何とも思わずやってたんですよね。
昔流行った歌じゃないですけど「私、歌が好き」と本気で思っていたので、高3のギリギリまで部活やってたし、大学の合宿に行く(貧乏学生にはなかなか厳しい支出)、ほぼそのためだけにコツコツバイトをしてました。
大学なんてサークルだったので、バリバリ青春を謳歌してる友人たちも多かったのですが、「遊びじゃねーんだよ」とくさったりしてました(学生の本分は勉強です)
青かったあの頃。

社会人になってからは、この熱意と仕事を両立出来る気がしなかったので、長いこと遠ざかっていたのですが、一時期たまたまご縁があってとある合唱団に参加させてもらったことがありました。そこの方々は、歌への想いが私以上で、かつ「暑苦しく人には押し付けない」という、ストイックかつスマートで、これが大人か、と思いました。

今は仕事子育ての両立に悪戦苦闘しており、なかなか余裕が持てないのですが、いつか、もう一度、一つの音楽を作り上げるために全身全霊を注ぎ込むような世界に戻ってみたいな、と思います。

手近なところで、子供とハモれたら最高だろうなぁと思って、泣き叫ぶ赤子に毎夜毎夜歌を歌って聞かせていたのですが、いまいち効果がありませんでした。世の中難しいですね。

麺類

大抵毎日社食で昼飯を食うわけですが、大抵日替わりの麺類になります。
いくつか選択肢のある日替わり定食からベストを選べず右往左往するよりは、いつも決まったものを食べたらいいか、というのもありますが、単純に麺類が好きだからです。

故郷が九州なので、やっぱりとんこつラーメンが好きです。郷里のお気に入りのラーメン屋は、先代が亡くなって今はやんちゃしていた息子さんが跡を継いでいるのですが、味は変わらず、いつ行ってもほっとしますし、あっさりめのとんこつスープを飲み干してしまって、帰りは喉がカラカラになります。

あと、讃岐うどんも好き。
10年くらい前に、近県に住んでた友人がアテンドしてくれて、有名うどん店巡りをしたことがあります。前日楽しみ過ぎて寝不足だったのと食べ過ぎたのとで、お店の名前が思い出せないのがとてつもなく残念です。硬め/比較的柔らかめ、太め/比較的細め、老舗古民家風/製麺所の脇バージョン、色んなお店がありました。一つ一つのうどんは目と舌に焼き付いているものの、如何せんお店の名前が。

あと、担々麺と名のつくものは大抵好きです。最近本郷の担々麺メインのラーメンやさんに行って、こんなに美味い担々麺は久しぶりだ、と震えました。
あと、八重洲の中華屋さんの、肉汁たっぷり大きめ焼売と共にいただける、胡麻たっぷり辛さ控えめの担々麺も好物です。
冷凍食品も侮れなくて、よく「日清具多」の担々麺も食べます。昔一人暮らしの頃は必ず冷凍庫に入っていて、週に一度は食べていました。

そういえば、何を迷うたのか「担々麺フェア」と称して、社食の日替わり麺が一週間担々麺だったことがあります。赤担々麺、黒担々麺、白担々麺、あとなんだったかな。同僚の「今日も担々麺?」の視線に耐えられず、三日目くらいには別の物を食べました、お前こんなもんなのか、と後に自分を恥じました。
担々麺愛を試されるイベント、一体何だったんでしょうね。またやってほしいですね。

本を読む

最近、Kindleの読書がはかどっています。積読が減るかと思いきや、また買うので未読はあまり減らないですが。

つまらない大人になってしまったのか、小説があまり読めなくなりました。感情移入したり、ハラハラしたりドキドキしたり、難解な設定を読み下したり、犯人を推理したりすると、どっぷり疲れてしまうのです。

周囲の「毎週欠かさずジャンプ・サンデー・マガジンを読み続けるマン」達も、最近やめちゃったという話をよく聞く気がします。そう考えると、漫画は遊びじゃないですよね、いっぱしの読書としてエネルギー使いますよね。

結果、読む本はビジネス書となりました。

ビジネス書って、気になる本の傾向が好みに偏ってしまうからか「あれ、この話どっかで読んだことあるな」みたいなことになりがちだな、ということに、数読み始めて気づきました。

ちなみに、私が読みがちなビジネス書の特徴は以下です。

・共感力のある、地味な、たたき上げのリーダーが企業を発展させる

・交渉事も、苦手な人の付き合いも、相手のことを理解しようという気持ちで前進できる

・ストレスが溜まって、一人になりたい時ほど人と接して、できたら何か人助けをすべき

・絵を描いて説明しましょう、相手にもわかりやすく、クリエイティブにもなり、相手の顔を見ないことで感情的になっても喧嘩にならないから

・本当にやりたいことを見つけて、いつも思い出して、それを目指して日々工夫していきましょう

 

小説、読みたいんですけどね。

大好きな(もうこんだけフォローできてないと「大好きだった」と呼ばねば失礼では)森見登美彦氏のブログが更新されていたので、改めて思いました。

tomio.hatenablog.com

はてなブログを始めたのも、もりみーがはてなブログだったからです。

なんで「熱帯」Kindleないの。

小さな世界

祖父は、定年まで勤めた会社で「銀獅子」と呼ばれていたそうです。白髪で、よく吠えたから。曲がったことが大嫌いで、厳しくて、いつも怖かった。お葬式には、家族葬にも関わらず、たくさんの昔の部下がお線香をあげに来てくれました。

父は、父親の頑固一徹さを好もしく思っていたようです。高校時代は融通の利かない学級委員長で、落ちこぼれの子をかばい、教師の矛盾を追及して、ビンタされて鼓膜が破れたそうです。今では立派な「会社の為を思ってくれているんだけど、正論のうるさい年寄り」になっております。

私はどうか。

女性であることもあり、また弁が立たないこともあり、大っぴらに人と対立するのは得意ではありません。たとえ相手が間違っている、と思ったとしても、真正面から指摘するのは苦手です。

ただ、だからと言って「なんかおかしいよなあ」という気持ちに蓋ができるかというと、出来なくて、ずーっとずーっとくすぶってしまう。

じゃあ何が出来るんだい?何か変えて見せておくれよ、という思いで苦しいのですが、出来ることと言ったら「誰が何と言おうと、自分が正しいと思うことをやり通す、流されない。ただし出来る範囲だけど」ということだけです。

自分が正しいと思う、小さな世界を一生懸命守って生きているのです。

そうやってコツコツ仕事をしていると、わかってくれる人、信じてくれる人、頼ってくれる人が少しずつ少しずつ、増えてきました。

声が大きくて、勘所をガチっと押さえてうまくステップアップしていく人も、群れて声が大きくなった気がして安心している人もたくさんいる。

いつも、そういう「うまくやれる人たち」に、笑われてるような気分になってしまうのですが、しょげていたところに、死ぬほど忙しい人が、私の小さな世界の、中でもちっぽけなことのために、真剣なアドバイスをくれ、前を向けそうな気がしました。

小さな世界を守って、少しずつ広げていくことで、周りにもほのかに良い影響を与えられるような、そんな人間になりたいと思います。

ハロウィン

ハロウィンについて書きたいと思います。

 

年がばれるかと思いますが、自分が渋谷とかで遊んだ年頃にはまだハロウィンなんて誰も言ってなくて、遠くのお祭りなんでしょ?という感じでした。ハロウィンにかこつけて、かぼちゃのお菓子を売ったりは、もしかしたらあったような、なかったような。

7~8年くらい前も、まだそういう方向にアンテナを張ってない人種はなじみのない祭りで、会社の同僚の結婚式の二次会に呼ばれて行った青山で、仮装した若い人たちにビビッてたら、同じ会に出席する5歳くらい若い後輩がデビルちゃんのカチューシャをつけてきて(服装は普通のパーティ用ワンピ)、二度びっくりしたことがあります。

そいで、4年くらい前に渡米して、2年半ほど住んでたのですが、小さい子供もいたおかげでハロウィンは大変楽しいイベントでした。

 

ハロウィンて、基本は10/31の夜に小・中学生くらいまでの子供が仮装して菓子をねだって歩く祭りなんですけど、じゃあ10/31が平日だったらどうすんの?次の日学校じゃん、と思うじゃないですか。

やるんですよ、10/31に。月曜だろうが水曜だろうが。

ハロウィンは近所を回るのがメインなのですが、「ハロウィンの名所」的な通りがいくつかあって、そういうところは週末に開催してたりもしたような気がしますが、そういう融通の利かない感じ面白いなぁと思ったものでした。

また、日本でも最近は時々見かける、行政とかショッピングモールとかが開催する「こどもハロウィン祭り」的なものは、やはり週末でした。

アメリカでしょ?他人のくれたお菓子食べるなんて大丈夫?とも思ったのですが、「個包装の市販のお菓子を配る」という原則があるようで、アメリカ人はホームメイドのお菓子大好きですが、ここでは市販のちっちゃいアメとかチョコとかでした。

よその家のドアをノックする件については、「うちには菓子があるぞ」という目印に、当日家の前にでかいパンプキンを置きます(ちなみに、アメリカ人、パンプキンというと基本あのでかいやつを指します。絵本に出てくるものもパンプキン呼ばわりで、食用かぼちゃはスクワッシュと呼ばれていました)子供にお菓子あげる気ないよ、というときは、かぼちゃを置かなければ基本誰もノックしません。

 

子供たちの仮装ですが、日本だとキャラのコスプレが多いですが、本場はもっとバラエティに富んでいました。いわゆるウィッチとかゾンビとかだけでなく、自前の服をうまく使ってかわいい仮装をしてる子なんかは、親のセンスにうならされました。例えば、白いトップスに白いタイツをはいて、白い耳のカチューシャと長いしっぽをつけ、黒い鼻と白いひげのフェイスペイントをすれば、白猫ちゃんの出来上がり、とか。これにじゃらっとしたネックレスを首輪代わりにつけた金髪の小さな女の子とか、超かわいかったです。

アメリカには、小さい子には戦隊ものとかプリキュアに該当するような人気キャラで超かっこいいとかかわいいっていういのがあまりなくて、ディズニープリンセスとか、ダースベイダーとかはありましたが、素朴な感じするなあと思ったものでした。キャットインザハットっていう、日本でいう「ぐりとぐら」みたいな昔からいる絵本のキャラクターの仮装してる子とか、職業の制服的なのも多かった気がします。戦隊がない代わりに小さい男の子のヒーローは警官と消防士なので、それに扮する子も結構いたかも。

もう少し大きくなると、ややキャラに寄ってきます、アベンジャーズとか、バービーとか。小さい頃から毎年仮装しているので、ティーンの仮装はだいぶ凝っていて、更にお友達とお揃いとか、レイヤーさんでいう「あわせ」とか、そういうのもあるみたいです。その年ごろの女の子はかわいらしさを求めてなくて、セクシーとか、ガチで怖い路線を狙う子も多々いて、Facebookに上がる友人の娘さんの傷メイクが年々生々しくなるので面白いなあと思ってます。

 

職場のアメリカ人に「日本のハロウィンは、大人が仮装してバーに飲みに行く祭りだ」と言ったらだいぶびっくりされましたが、大人が仮装して練り歩くことはあまりありません。子供に同伴する親は、気分を盛り上げるために(まあ、みんなお祭りは大好きなので)仮装をしてたりもします。あと、お菓子を配る大人もノリノリの人はドラキュラだったりしてました、で、ガチすぎて幼児が泣くとか。

せっかくのお祭りなのに、飲みに行かないの!?と思うじゃないですか、飲むんですよ、家で。有名な通りの住民たちは、行列をなす子供にお菓子を配りつつ、ビールを飲みながら庭でバーベキューとかしてました。アメリカ人はみんな比較的(個人の感想としては、すごく)子供が好きなので、ちびちゃんたちの仮装をつまみに、さらに肉食ってビール飲んで。親的にはそっちのほうがうらやましかったです。

 

近所で回ってもよいのですが、慣れない我々にはちょっと怖かったので、一年目は超名所に行って歩きました。雰囲気は十二分に味わえて満足(売ってるわけじゃないのにバーベキューのにおいが通りに蔓延している。そして、飲んでる家からクラブミュージックががんがん聞こえてくる)でしたが、人が多すぎて子とはぐれそうにはなるわ、やっぱりものすごい数の子供が押し寄せるのでコスト面からもらえるお菓子がチープでおいしくなかったり。

二年目は、子が通っていた保育園のそばの小さい通りに、保育園終わりにみんなで仮装して行きました。消防署が消防車を開放してくれて、子供たちを乗せてくれたり、ややこじんまりとしてるので、もらえるお菓子もハーシーズとかおいしいやつで、一緒にスティッカーくれるしで、大変よかった(子供は万国共通シール好き。アメリカ人は特に「子供といえばスティッカー」なので、トレーダージョーズってスーパー行ってもスティッカーくれるし、パトカーに手を振ったら近づいてきてスティッカーくれたりしてました)

 

今では日本でも比較的ハロウィンがポピュラーになってきて、保育園のイベントでコスチューム着て出かけたら、近所のお店の人がお菓子をくれたり、というあたたかいイベントもあります。

 

でも、10月になると、もう、とにかくアメリカのハロウィンシーズンが懐かしい。

まずは、ハロウィンのためのかぼちゃを調達する「パンプキンパッチ」というめちゃくちゃ楽しくてかわいいかぼちゃ畑を訪れるところから始まります、だいたい9月の終わりから10月いっぱい。基本はただのかぼちゃ畑で、必要なかぼちゃを買うのがメインのはずなのですが、かわいい案山子がたくさん飾ってあったり、藁でできた迷路で遊んだり、乾燥コーンのプール(ボールプール的な)に入ったり、ろばが引いてくれる車に乗って畑を一周したり。結局カービング(彫るやつ)をやれるような大きなかぼちゃは一回も買わず、手のひらサイズをいくつか飾ったくらいでした。今思うと、やっておけばよかった。

で、ハロウィン当日は、前述の通りの大賑わい。配る方もちょっとやってみたかったけど、オンタイムには自分も子供を連れて外出しているので実現せずでした。仮装はちょっとやった、子供がきかんしゃトーマスの服を着てたので、背広着ておもちゃのシルクハットを被っていたら「あ!あんたあれでしょ!?トーマスの!?名前なんだっけ!?でも似合ってるよ!」と、大人がめちゃ声をかけてくれるのもうれしかったです。

そして、ハロウィン後には、もう一つのハロウィン。

メキシコに「死者の日」という、お盆のようなイベントがあるのですが、これがハロウィンの直後なのです。屋外に、亡くなったご先祖の写真をたくさんのマリーゴールドの花で飾って、ゆかりのある服や食べ物や飾りなどと、キャンドルをお供えして偲ぶ、初盆のような儀式を最初の年だけでなく毎年行うのです。とはいえ、ヒスパニックの陽気な雰囲気もあり、ご先祖の好きだったレゲエとかを流していたりもして、にぎやかでもあり、しめやかでもあり。

近所の公園は、周囲にヒスパニックの方が多かったこともあって、メッカになっていて当日は圧巻の光景でした。亡くなった方をいつまでも大事に近くに感じていられる、いいお祭りだなあとしみじみしたものです。

相変わらずハロウィンは好きだけど、この時期に一番強く思い出すのは、むせかえるようなマリーゴールドの香りと、ゆらめくたくさんのキャンドルの灯りのような気がします。